霧島の日記(完結)

書く理由がなくなったので完結しました

2017.2.27

月曜日。死の曜日。

 

デスクワーク。退屈極まる。職場はホワイトな方だと思うが、この退屈さは人生における重大な損失、障害だと思う。労働の社会的意義の重要性を無視するわけではないが、個人的な感覚(楽しいとか退屈だとか)は、個人からすればそれが全てであり、個人的感覚における重大な損失とは、死のようなものである。つまり、仕事が死ぬほどつまらない。しかし、それはそういう種類の仕事だからだ。

 

帰宅後はペルソナ5をプレイ。未攻略のコープを攻略中。各登場人物とのイベントをこなしていくと親密さが高まり、さらなるイベントを見ることができる。異性のコープであれば、交際関係に至ることもできる。主人公は現実ではありえないほどのスーパーモテ男なので、全ての異性キャラと同時に交際することもできる。それがもたらす異性キャラ同士の修羅場も恒例となっている。尊い学びがある。

 

注文していた量子力学の入門書が届いた。初めの方しか読んでいないが、かなり平易に書かれていて、概要的な部分を浅くカバーすることができそうな感じだ。別に深いところまでがっつり理解してやろうという野心があるわけではないので、これくらいでちょうどいい。入門は、嫌にならない程度に易しいところから行うのがいい。

量子力学は、現代的な科学的世界観の中心にあるもので、それはかつての古典的物理学が示すような因果関係、因果律を超えた世界観であるらしい。未知の、あるいは人知を超えた世界に想いを馳せるのは、科学でも神秘主義でも同じであると思う。タロットを学ぶように量子力学を学び、量子力学を学ぶようにタロットを学ぶことに、僕自身は何の矛盾も感じない。

2017.2.26

日曜日。

 

またしても昼過ぎまで寝ていた。夜更かしが過ぎるので、疲れも取れない。

 

親戚と食事に出かけた。おじであるが、彼と過ごすことが僕にとっては必ずしも楽しみや心の慰みにはならない。幼少の頃より世話になり、恩や感謝は感じているものの、彼の他人への攻撃性や人生を拗ねた態度は、僕にとってはネガティブな重みである。彼に対する複雑な心境により、彼への態度や関係も僕の中では中途半端なものになり、何だか悩ましい。

 

人に薦められたこともあり、巷間話題のけものフレンズを観た。話題作にキャッチアップする時、純粋に楽しむより、なぜ今これが話題になっているのか、といった分析的視点から臨んでしまうので、あまり楽しめないことが多い。

7話まで放送されている現時点で本作が明示的に述べているのは、種に備わった多様な能力や特性が、多様な場面で活かされたり、あるいは疎外されたりするということであり、回を重ねても、基本的にはそのテーマのバリエーションが紹介されるに留まる。

伏線や謎としては、「なぜかばんちゃんを除いた他の人類は滅んだのか」とか、「なぜけものは人の形に化けたのか」とか、「ボスとはいかなる存在であるのか」などいろいろある。しかし、バリエーション紹介に終始している現状からして、物語の展開の遅さが気になり、伏線がもたらす楽しみが削がれる。正直、僕は物語の大筋とオチだけ分かれば十分だと思っているので、次回放送が楽しみだとかそういう興奮はない。とはいえ、作品をディスっているのではなく、僕が単に作品に乗り切れないというだけだ。ただ、片足を突っ込んだ手前、最後まで観なくてはならない気になってしまう。

 

タロットに関する本を読んだ。書名は『タロットの書 叡智の78の段階』。訳者あとがきにもあるけど、タロットは単なる占いの道具だけでなく、内観を通じて人生の歩みを補強する側面もある。だから、単にカードに対応した意味を機械的に照合して占うだけではあまり意味がない。しかし、より深いリーディングを行うには、学習や経験が必要であり、その奥深さからして修練の厳しさが予感される。

そして、量子力学の平易な入門書を注文した。心理学やその他の学問について知ることも、タロットリーディングにつながる。タロットばかり当てにしているわけではないけど、いろんな教養が複合され、実践されるというのはスリリングである。

 

意中の人からの返事はまだない。一日たりとも彼女のことを想わない日はない。そして、一日たりともブルーな気持ちにならない日はない。これほど厳しい試練に身を置くことになるとは予感していなかった。

あれから3週間が経つ。すぐに返事が来るような状況ではないだろうことは承知している。返事に期限を設けることはしなかった。第一に、返事をせかすことが彼女の状況にそぐわないと思ったからで、第二に、彼女が返事をくれることを信じているからである。返事を待ってほしいと言われた時も、彼女はその理由や状況を誠実に説明してくれた。だから、僕は彼女の誠実さを信用したい。

前の彼女はまるで信用ならない、利己的な嘘つきだったが、そもそも、信用できない人と付き合おうと考えること自体馬鹿げている。であれば、好きな人を信じるのは当然のことだ。

もうしばらくこの苦しみは続くだろうが、僕は耐えていかなければならない。

2017.2.25

土曜日。

 

昼過ぎまで寝ていた。平日の寝不足を埋め合わせるように、週末にはだらだらと寝ることが多い。独身だからいいものの、所帯を持てばこういう生活態度では通用しないだろう、と今から懸念。

 

昼食は自作のペペロンチーノ。単純な料理だけど、ちゃんと作ると美味い。ペペロンチーノの調理法は、ボンゴレペスカトーレといった、フライパンで油と絡めるタイプのスパゲッティに応用されるので、スキルを磨いておいて損はない。

ただいつも思うのは、炒飯と同じで、単に炭水化物を摂取しているだけなので、栄養バランスは悪い。スープやサラダでバランスを取るべきだ。

 

夕方まで楽器を練習したり、本を読んだりした。

 

夜は音楽仲間と飲み会。初めはなんだか面倒くさいような気がしていたけど、料理は美味かったし、気取らず話したいことを話せて、まあまあ楽しかった。誰かと会っている間は孤独や悲しみが少し軽くなる。何かを忘れていられる。心の空隙を埋めてくれるものがあれば、それが人でも何でも慰みになる。

帰りは途中でものすごく尿意を感じたが、家まで我慢した。馬鹿みたいだけど、そういう馬鹿げたことをしてみたい気になったのだ。そんなことでさえ、心の空隙を埋めてくれる。

2017.2.24

金曜日。プレミアムフライデー?知らん。

 

業務がだいぶ片付いてきて、ちょっと暇っぽくなってきた。多忙も暇もいや。楽しくて面白くて、時間を気にしないでいられる仕事だけしていたい。

 

ラ・ラ・ランドを観てきた。ハッピーなノリのミュージカル映画。タイトルと宣伝用の写真の雰囲気だけで、この映画はいけそうだという気がしていた。けど、星5はないと思う。というか、星5の映画なんてよっぽどのことがない限り出てこないと思う。星5というのは評価上の最大値であり、完全無欠、完璧ということ。創作や表現に完璧はないのだ。試写で興奮した、あるいは買収されたと思しきレビュワーが星5を連発していたけど、信用ならない。

作品自体、決して悪い出来ではなかったと思うけど、賞レース最有力候補と言われると、え?って感じ。個人的には音楽にこだわりがあるので、サントラのやや古めかしいセンス、今っぽい感じのなさは、最前線で戦うにはちょっと力不足の感があった。去年のオデッセイのように、敢えてのクラシックスみたいな路線狙いとは意図が違うだろうし、何せ音楽を中心とした映画であるわけだから、そこはこだわりと技術を集結させてほしいという欲求というか期待や願望があった。

とはいえ、前作セッション!との比較でいえば、多幸感や前向きさがあった。音楽を利用して怨嗟を発散させるという悪意は特に感じられなかった。

観る前は、映画好きの異性と一緒に観たい作品だと思っていたけど、観た後では別にそうでもないか、と思ってしまった。

2017.2.23

木曜日。

 

労働。退屈。睡眠不足。眠気。疲労。神経痛。

あれ、悲しみが。

 

演奏会のためのリハーサル。回を重ねているからか、少しずつ内容がよくなっている。相方のスキルがわずかばかり向上していて、やりがいを感じる。楽器の演奏力には、継続的な反復運動で向上する部分と、直感や閃きによって向上する部分があるが、彼にはその両方が生じているように感じられた。

リハの後には夕食。相方には僕の身の上の相談とタロットの話を聞いてもらった。彼は占いを真に受けるタイプではないようだが、タロットがどういうものかくらいは知っていても損はないと思う。

 

帰りには元野村證券の人の告発、みたいな本を買った。倫理観や自然な人間的感覚のぶち壊れたクレイジーな世界について書かれている、というような評判を目にして、興味を持ったからだ。不動産にしろ金融にしろ、巨大な金の動くところでは、金の動きがエネルギーとなって人の生き死にを左右するらしい。そんなところでも、人間は人間だ。僕は人間見たさに本を読んでみることにした。

2017.2.22

水曜日。

 

前日、タロットのことを読んだり、自分の関心事について占ったりしていたらずいぶん遅くなって、寝たのは2時半くらいだった。なので、今日はどうしようもない疲労感と虚脱感と共にあった。神経痛がひどい。

 

僕が沈痛な休日を過ごしている間、楽しげな旅行に行っていた人もあれば、交際相手と順調に段階を進めている人もあったことを知った。だが、人は人。僕は僕の人生と段階を進むのである。

 

久しぶりにロトくじを買った。くじは夢を買うものだというけど、僕の場合、現状に対する反抗心、破壊的欲求も含む。くじを買うということは、わずかばかりでも何かすごいことが起きる可能性を手の内に潜めることであり、現状に甘んじたくない気持ちを率直に表すことのできる数少ない行為の一つである。

財布の中に残っていた未精算のくじを買ったのはちょうど去年の今頃だった。10枚継続購入だったので、1枚は期限切れで、残りの9枚はまだ有効だった。一応売り場で機械に通してもらったが、全て外れだった。今まで当てた最高額は千円。それが2回くらい。しかし、過去の結果とこれから起こることは必ずしも同じではない。買わなければ当たらない。それがくじの鉄則である。

 

あるライブの予約をした。ペペ・トルメント・アスカラールという、ラテンや現代音楽をベースとした、空想的なラウンジオーケストラのライブである。官能、猥雑、そして耽美をこれでもかと詰め込んだ唯一無二のオルケスタであり、思いを寄せる異性と一緒に聴くべき音楽であるが、僕の状況を鑑みれば、おそらくそれは叶わない。両手いっぱいの悲しみと共に一人分の席の予約を済ませた。

 

この恋の行方について占った。タロット占いは単なる神秘主義でしかないだろうか。しかし、10枚のカードは僕の置かれた状況と、これから向かう方向、そして助言や忠告を示し、それが決して的外れでないことを感じた。単純な楽観、悲観に留まらない、箴言的で厳しさと優しさを含んだ結果となった。もうしばらく耐えてみよう。

2017.2.21

火曜日。今日は休み。

 

最近ゆっくり寝る機会がなかったので、昼過ぎまで思いきり寝てやった。だけど、遅く起きるのも、気持ちの上ではあまり晴れやかではない。

 

一日中強風が吹きすさんでいた。北風が持ち込んでくる冷気が堪える。散歩がてらお金をおろしに行ったが、風がしんどすぎて散歩どころではなかった。それに、平日の昼間に歩いていると、仕事のないおじいさんやおばさんなんかがうろうろしていて、彼らが悪いわけではないけど、なんだか気が滅入るのだ。ゴルフの打ちっ放しをしている人たちもそう。

仕事なんてしないで済むならその方がいいけど、仕事をしないで得られる時間を有意義に使える頭脳や胆力がないと、働くのと同じくらい屈辱的なことになると思う。

 

楽器を練習。習慣的行いは、取り立てて書くべきことでもない。

 

タロットの入門書を読み切った。通読して終わりというものではないけど、78枚のカードについて、概要的なことを読むだけでも結構な労力を要する。占いを盲信するわけではないけど、タロットリーディングを通じて自己の内面と向き合うことができるのは、タロットならではの効用だと思う。

 

意中の人の返事を待ち続けて、もう二週間以上経つ。相手には相手の事情があるのは分かっている。だけど、僕の想いも止まらない。このところ、何をしていてもしんどいし、手につかない。気がそぞろで、何も慰みにならない。このまま待っていても何も起きないなら、改めてこちらから動くべき時が来るだろう。何のやり取りもないまま過ごしても、お互いに考えていることは通じないままだ。

ネットの恋愛相談も、あてになったりならなかったり。結局、個別の状況を丁寧に見ないと対応のしようもないし、ネットをあてにしたがる心性も現代的な病でしかない。