霧島の日記(完結)

書く理由がなくなったので完結しました

2017.2.15

水曜日。週の半ば。週末に思いきり寝たい。

 

労働。社会の一角を支える仕事だが、退屈極まりない。平日は心のスイッチをオフにして、あまりあれこれ考えない方がよろしい。ただし、仕事以外の場で何か生の実感が得られるものがないと、何のために生きているか分からなくなる。

 

床屋に行った。床屋のおっちゃんと駄弁るのがほどよい刺激になる。天気の話から流れ出して、雪、風、花粉、アレルギー、飽食、肉食文化、馬、競馬、種馬、金儲け、みたいにドリフトしていった。最後はジョンナムのことを話した。今年はトランプと北朝鮮のことで話題は事欠かないだろう、みたいな締めになった。いかにも床屋のおっちゃんとしそうな会話の模範例である。

 

家に帰ってからはタロットカードの読み方について書かれた本を読んだ。僕はあまり占いを当てにしないたちだが、タロットは様々な創作のネタとしてよく使われるものであり、覚えておいて損はないだろうというつもりで学んでいる。それにしても、覚えるべきことが多く、割ととっつきにくいものであるように感じる。

タロットカードは78枚で一組になっていて、22枚の大アルカナ(寓意画が描かれたもの)と56枚の小アルカナ(トランプみたいなもの)から成る。各々のカードに描かれた絵柄が表すものから解釈や意味を得る。カードの展開法にも様々な種類があり、簡易なものから複雑なものまで多様である。

占いにすがりたい気分の時もあるが、個人的にはタロット占いは、単に与えられた意味を受け取るものではなく、自分の内面から本質を引き出すためのきっかけとして利用するものだと思う。だから、当たる当たらないではなく、認知療法的な道具なのだと思っている。

 

相手からの返事はまだない。そうすぐに来るものだと思っていないが、彼女を想えば苦しい。