霧島の日記(完結)

書く理由がなくなったので完結しました

2017.2.19

日曜日。よく晴れていた。

 

演奏会。高難度の演奏を求められるので、とても消耗する。これまでいろいろなバンドに参加してきたが、今日のバンドは特にしんどいバンドだった。楽しんでやれるならいいが、つらいと思うようになると、とことんきつく感じられる。しかし、これが最後の演奏だったので、とにかくもう終わりである。

 

帰ってからは、途中まで観ていたすべらない話の続きを見て、DVDを返しに行った。レンタル屋は近所なので、健康のために歩いて通っている。健康のためといっても、肉体的なこともさることながら、精神衛生上の効用もある。歩いていると、思考が自動的に始まる。夢でも見ているような感じで、つらいことだとか心配事などがふわふわと巡っていく。それで何かが解決するわけではないが、何か整理がつくような感じはする。

 

僕は神秘主義的なものはあまり信じたり頼ったりしない方だが、それでも、人為を超えた物事があるのは分かる。これまでの人生を振り返っても、偶然によって導かれ、その積み重ねの先に今があるという実感はある。もちろん、自分の手で選び、掴んだものもあるが、それとて全て人為によるものだとは言えない。特に、人との縁はあらゆる偶然の集合の結果だと思う。

タロットについて学んでいるのは、表現や鑑賞の上での教養の一環のつもりではあるが、占いに頼りたい気分であることも事実だ。

一日一回、一枚だけのシンプルなスプレッドを実行する。今日は”世界”の正位置を引いた。意味としては、「成就」、「成功」、「願いが叶う」といったものらしい。素晴らしいカードである。しかし、今日一日を過ごして、その意味を実感する出来事は起きなかった。これでは、たかが占い、当たるも八卦当たらぬも八卦ではないか。タロットはそういうものではないと思う。学び直したい。