霧島の日記(完結)

書く理由がなくなったので完結しました

2017.3.3

金曜日。風強し。

 

朝起きるのがつらい。夜、目いっぱい何かをしてやろうと思ってしまうので、いつも夜更かし気味だ。「今日もこれしか本を読めなかった」といった類の感覚がいつもあり、寝る時間を削ってでも余暇の質を向上させようという気になってしまう。しかし、それはトータルで考えた時、あまりプラスになっていないのかもしれない。もっとちゃんと寝て、摂生に努めれば、日頃の気分から改善すると思う。

 

一日労働。寝不足の疲労と眠気に耐えながら。新人の頃はこれを耐え難い苦痛だと思っていたけど、今は慣れもあって何とか乗り越えられる。だけど、これは絶対に身体に悪い。食生活とか運動習慣の見直しに先駆けて睡眠習慣を改善させなければならない。といったことは、中学生くらいの時から思っている。

中学生で夜更かしを覚え、以来完全なる夜型人間となった。僕が思うに、夜型人間というのは、入眠困難などの睡眠障害に対する不安があり、寝ること自体を正常に(社会が要求するように)コントロールできない人間なのだ。

今でこそ労働者として、正しく起床し、正しく通勤し、正しく労働に勤しんでいるが、通常期待される健康的生活とはちょっと違うと思う。2時寝7時起きの5時間睡眠を5日間続けて、金曜の夜には(まさに今)ふらふらになっているのは、理想的ではない。とはいえ、健康的生活とプライベートの質的向上の両立を図るのは容易ではない。

個人的感覚として、労働とは金銭以外の全ての機会の逸失であり、失われた機会を取り戻すことこそがプライベートの質的向上に他ならないと思っている。働くために生きる、というのは受け入れがたい。労働に人生を奪われることに対して、常に反抗していたい。労働者として飼い慣らされて、労働者の地位に甘んじれば、それは死なのだ。やりがいだとか、仕事を通じての自己実現なんてファックである。替えの利く雇われ仕事でそんなことを考えるなんて、どうかしている。

 

夜は演奏会のリハーサル。今日が最後。後は本番のみ。まあまあの仕上がり。お金は取らない軽いやつなので、これで十分だと思うけど、本当は細かいところをまだ詰められると思う。音楽は果てしない。

 

リハの後は食事。他愛ない会話。それでも十分な慰みになる。(人生上のいろいろな)問題は何も解決していないけど、誰かがそれを知っていてくれるだけでいくらか救われる。