霧島の日記(完結)

書く理由がなくなったので完結しました

2017.3.28

火曜日。

 

労働。憂鬱。死。あまり考えてもろくなことが浮かばないので、考えないでおこう。

 

帰りに菓子折りを買いに行った。謝罪ではなく感謝のために。和菓子の贈り物はあまり受けなさそうな気がしたので、洋菓子を。洋菓子でも生菓子では日持ちが悪いので焼き菓子を。モールに行けば選び放題だと思い込んでいたが、モールの中にはあまりそういう店は入っていなかった。条件が悪いので別に店を探したが、どこも夜はあまり長くやっていないところが多く、探すのに苦労した。たまたま近所の店が条件に合ったので行ってみたら、ちょうどいい焼き菓子が置いてあったので助かった。買い物には苦労したけど、気晴らしにはなった。

 

夕食後はひどく眠かったが、変な時間に寝るといろいろおかしくなるので、起きていることにした。初めは本でも読もうかと思ったが(眠気を堪えて読書をするのも過酷だが)、やはり曲のコピーをすることにした。コピーをそこそこ続けてきたおかげで、それなりにスムーズに音を拾えるようになった。コピーの対象はルバートなイントロで、記譜するのが大変なのでコピーだけにした。

 

すごい疲労感。神経痛も軽く出ている。多分睡眠が足りていないのだろう。もうずいぶんと不摂生な生活をしている気がするけど、これが蓄積していつかひどいことになりそうな気がする。危機感。

本当はそれなりに時間もあるし、ゆっくり休んだり、十分な睡眠をとって生活することも可能なはずなのだが、つい何かをしてしまう。仕事だけして生きていたら、それは仕事だけの人生だ。自分がそうなってしまうことへの忌避感や恐れがある。仕事のためだけに生まれてきたかのような生き方。間違ってもそんな風にはなりたくない。だから、疲れていても何かをしてしまうのは、労働へのアゲインストであり、生まれ持った性なのだ。