霧島の日記(完結)

書く理由がなくなったので完結しました

2017.2.20

月曜日。

 

昨日の疲れを引きずっていた。その上、気温がちょっと上がったりすると、それも疲れの原因になる。変な雨が降っていたし。

 

退屈なだけの書類仕事をしていた。一度きりの人生の貴重な時間の多くを労働に捧げ、しかもその労働が何の面白みもないものであるという圧倒的事実を見つめるにつけ、正気を保っていられる方がおかしいのだと思う。しかし、とはいえ、世に生きる人の多くは、金銭以外にほとんど何の価値も無いような労働に追われているだろう。労働は悪なのだ。

こんなことを言うと、「個人の労働の積み重ねが社会を動かしているのだ」とか、「労働は尊い」と言う人もいるだろうけど、仮にそうだとしても、社会貢献の一環であるという感覚が、労働者個人の苦痛に対して何の慰みになるだろう。社会貢献は、副産物だ。誰も世の中のことばかり考えて生きているわけではない。

 

労働しかなかった一日に、誰が救いを与えてくれるだろう。

 

僕はマーフィーの法則の愛読者なので、偏狭な楽観主義には懐疑的である。この残酷なる現実に対し、「目を背ける」という極限的に消極的なアゲインストしかできない楽観主義者は、幸福かもしれないが愚鈍であると思う。

2017.2.19

日曜日。よく晴れていた。

 

演奏会。高難度の演奏を求められるので、とても消耗する。これまでいろいろなバンドに参加してきたが、今日のバンドは特にしんどいバンドだった。楽しんでやれるならいいが、つらいと思うようになると、とことんきつく感じられる。しかし、これが最後の演奏だったので、とにかくもう終わりである。

 

帰ってからは、途中まで観ていたすべらない話の続きを見て、DVDを返しに行った。レンタル屋は近所なので、健康のために歩いて通っている。健康のためといっても、肉体的なこともさることながら、精神衛生上の効用もある。歩いていると、思考が自動的に始まる。夢でも見ているような感じで、つらいことだとか心配事などがふわふわと巡っていく。それで何かが解決するわけではないが、何か整理がつくような感じはする。

 

僕は神秘主義的なものはあまり信じたり頼ったりしない方だが、それでも、人為を超えた物事があるのは分かる。これまでの人生を振り返っても、偶然によって導かれ、その積み重ねの先に今があるという実感はある。もちろん、自分の手で選び、掴んだものもあるが、それとて全て人為によるものだとは言えない。特に、人との縁はあらゆる偶然の集合の結果だと思う。

タロットについて学んでいるのは、表現や鑑賞の上での教養の一環のつもりではあるが、占いに頼りたい気分であることも事実だ。

一日一回、一枚だけのシンプルなスプレッドを実行する。今日は”世界”の正位置を引いた。意味としては、「成就」、「成功」、「願いが叶う」といったものらしい。素晴らしいカードである。しかし、今日一日を過ごして、その意味を実感する出来事は起きなかった。これでは、たかが占い、当たるも八卦当たらぬも八卦ではないか。タロットはそういうものではないと思う。学び直したい。

2017.2.18

土曜日。

 

午前中は、自動車の修理のためにディーラーへ。

前の晩は遅かったし、仕事の後にリハをやって、その後うだうだと恋愛相談に乗ってもらったりして、なかなかに疲労が残っていた。

修理が終わるまで、何となく日本神話のことを調べていた。とにかくすごい数の神々がいるという学び。

 

昼はボンゴレビアンコを自作。まあまあの出来だった。もっと改善できる。

 

借りていたDVDを返して、また借りてきた。すべらない話。単純に面白いし、できれば何かを学びたいというつもりで観る。

 

ギターの弦を交換。正直、面倒くさい。しかし、張り替えたての弦はいい音がする。何となく弾き始めると、時間があっという間に過ぎていく。ちょっと弾けないものがあると、こだわりだして練習してしまう。己の技術向上というのは、一身専属の真に己が頼るべき能力の向上であり、それ自体有用である上に、精神的なお守りとしても有用だ。知識も技術も、みんな自分のためにある。

 

秘密の日記を書いた。恋愛の悩みについて。出会った頃からのことを思い出しながら。自分の気持ちを俯瞰するのに役立つが、まだ生々しい感情の引き出しも開けてしまい、つらい気持ちに。返事がもらえるまでは、あれこれ考えても無駄だと分かっていても。

2017.2.17

金曜日。単純に嬉しい。

 

仕事は忙しさの山を越え、しばらくは楽ができる。しかし、嫌なものは嫌であり、仕事のことを考えると憂鬱になる。

配置換えの可能性が視野に入っている。慣れた職場を後にするのも惜しい気がするが、今の職場はそれなりに闇を抱えていて、あまり闇に巻き込まれないうちに去りたい気持ちもある。しかし、新しいところに行っても、また別な闇があるだけだろう。それに、新しい人間と付き合っていくのもしんどい。厄介者がいなければいいが。

 

小演奏のリハーサル。まだ練り込みが足りない。自分の演奏力には納得していないが、相方の演奏力も、音楽的インスピレーションをもたらすほど磨かれていない。演奏は一瞬一瞬が真剣勝負で、ちょっとでも気を抜いた音を出すと、聴き手が白ける。詰めが甘いと、「なんだ、その程度か」と思われ、真剣な雰囲気が台無しになる。迫真性を維持したまま最後まで走り抜けるのは、達人といえど困難だ。

 

リハ後に食事。恋愛相談。相方も恋愛偏差値が低めらしく、あまり参考になる話は聞けなかったが、話を聞いてもらえただけでも少し楽になった。

 

今日は偶然、意中の人とすれ違ったが、返事のことには触れず、他愛ない会話を少し交わした。彼女の顔が見られて嬉しかった一方で、相変わらず返事を保留にされている状況に悲しみを覚えた。彼女の傷が早く癒えて、僕に気持ちを傾けてくれたら。その思いばかりである。

彼女が前の相手から受けた傷というのが、どういう状況でのものなのか、具体的な話は聞いておらず、ただ傷心から立ち直っていないということだけ説明されている。だから、僕は僕が立たされている状況について、いまいちつかみ切れていない。いろんな想像が浮かんでは消えるが、彼女の誠実さを信じて、時間が解決するのを待つしかない。

僕が前に付き合っていた人は、自分の都合のいいように言葉を弄する人だった。「祖母が亡くなった」、「風邪を引いて寝ていた」、「男性恐怖がある」など、嘘か本当か分からないようなことばかり口にしていた。それでも、端から疑ってかかるのはいけないと思って、一応は言葉の通りに受け取っていた。しかし、今振り返れば、それらの言葉はおそらくどれもでたらめだっただろう。結果から言えば彼女はでたらめな人間で、利己的な発想から平気で嘘をつくたちだった。そういう人との関わりが合った手前、異性の言葉をどこまで真に受けていいのか分からない時がある。しかし、今はそんなことは忘れて、彼女を信じて待とう。

2017.2.16

木曜日。人間相手の仕事が多かった。

 

かつていた人間が時限爆弾のようなものを仕掛けていって、今いる人間が被害に遭うようなタイプの理不尽がままあり、怒られるのも謝るのも全く感情なく、ただ機械的にこなす。顔では申し訳なさそうにしたり、恐縮しているように振る舞ったりするが(典型的な社会人しぐさですね)、内心では我が身に降りかかる災厄を呪うばかりだ。こうやって、人間が本来持って生まれる明るく優しい感情がどんどん死んでいって、皮肉的な冷笑ばかり身に付けていく。金と引き換えに失う大事なものの一つだ。

 

今日はちょっとドラムの練習をした。機械的なパターンを反復するのは、仕事で精神が疲労しているときには癒しですらある。シングルストロークルーディメンツ、手足のコンビネーション。自分に課題を設け、日々それをこなしていく中で微かに感じる上達。こういう感覚の中でしか、人生が駆動し、意義ある前進をしているという実感が得られない。

 

タロット用のクロスが届いた。それを机に広げ、カードを並べる。カードを俯瞰すると、絵柄が持つ印象が直に伝わってくる気がする。タロットに関しては全くの初心者なので、少しずつ慣れていきたい。

 

僕を待たせているあの人は、今どんな気持ちでいるのだろう。日々の生活に埋もれているのか、あるいは僕のことを考えてくれているのか。それとも、関心もなく忘れているのか。僕はどんなつもりで彼女を待てばいいのか。

こうしてじっと待っていると、僕はまだ彼女のことをよくは分かっていないことに気付く。もっとよく知りたいと思うが、今はそれもかなわない。待つしかないのだが、待つことの苦しさにだんだんと疲れてきているのも事実だ。だが、あまり自分のことばかりにこだわらないでおこう。

2017.2.15

水曜日。週の半ば。週末に思いきり寝たい。

 

労働。社会の一角を支える仕事だが、退屈極まりない。平日は心のスイッチをオフにして、あまりあれこれ考えない方がよろしい。ただし、仕事以外の場で何か生の実感が得られるものがないと、何のために生きているか分からなくなる。

 

床屋に行った。床屋のおっちゃんと駄弁るのがほどよい刺激になる。天気の話から流れ出して、雪、風、花粉、アレルギー、飽食、肉食文化、馬、競馬、種馬、金儲け、みたいにドリフトしていった。最後はジョンナムのことを話した。今年はトランプと北朝鮮のことで話題は事欠かないだろう、みたいな締めになった。いかにも床屋のおっちゃんとしそうな会話の模範例である。

 

家に帰ってからはタロットカードの読み方について書かれた本を読んだ。僕はあまり占いを当てにしないたちだが、タロットは様々な創作のネタとしてよく使われるものであり、覚えておいて損はないだろうというつもりで学んでいる。それにしても、覚えるべきことが多く、割ととっつきにくいものであるように感じる。

タロットカードは78枚で一組になっていて、22枚の大アルカナ(寓意画が描かれたもの)と56枚の小アルカナ(トランプみたいなもの)から成る。各々のカードに描かれた絵柄が表すものから解釈や意味を得る。カードの展開法にも様々な種類があり、簡易なものから複雑なものまで多様である。

占いにすがりたい気分の時もあるが、個人的にはタロット占いは、単に与えられた意味を受け取るものではなく、自分の内面から本質を引き出すためのきっかけとして利用するものだと思う。だから、当たる当たらないではなく、認知療法的な道具なのだと思っている。

 

相手からの返事はまだない。そうすぐに来るものだと思っていないが、彼女を想えば苦しい。

2017.2.14

火曜日。バレンタインデー。

浮いたことは特に何もなし。

 

一日中目を酷使したので、とても疲れた。そもそも日頃から寝不足気味なので、目とか関係なく疲れている。

 

意中の人からの返事を待つのがつらいと繰り返しているが、自分のつらさばかりこだわるのも独善的でいかさない。彼女は前の相手との間にトラブルがあったらしく、傷心から回復していないからしばらく待ってほしいと言っていた。だから、待つとすれば長くなりそうだし、彼女は彼女でつらいということは分かっている。

いろんなことがあって、喜べばいいのか、悲しめばいいのか、自分でも困惑しっぱなしだ。この状況をもって、自分の度量を試されているような気がする。

 

朝、女子高生らがチョコレートが入っているであろう紙袋などを持って登校しているのを見かけた。彼らには彼らなりの、我々には我々の恋愛の形がある。

恋を語るなんてださいと思うが、逆らい難い力によって恋に曝されている。宿命的な苦しみだ。