霧島の日記(完結)

書く理由がなくなったので完結しました

2017.3.7

火曜日。

 

今日は休み。昼頃起床。総じて何もしない一日だった。疲れをとるにはそういう日も必要だ。

 

昼はペペロンチーノを自作。自分で作っておいてなんだけど、美味いので感心だ。本当は材料さえあればペスカトーレなどを作りたいところ。何せペペロンチーノは栄養バランスが悪いから。

 

楽器を練習。セッション後は練習のモチベーションが上がる。楽器の習熟に果てはない。それはしんどさもあるけど、終わりのないゲームみたいなものだと思えば、ずっと遊べてよい。

 

ゲームといえば、長年参加していたオンラインゲームのクランを脱退した。理由としては、ゲーム自体に飽きたからと、時間がもったいないから。最近は完全に義務感だけで参加していたので、ゲーム本来の目的から外れていた。単なる消費、浪費的態度でのゲームプレイに意義を見出せないので、潮時を感じていたのだ。課金をしてまで熱中する人々にとっては、よほどの価値や面白みがあって、ゲーム自体が目的たりうるものなのだろうけど、僕にとってはそこまでではなかった。

ゲームはやりたい時にやって、やめたい時にやめればいい。しかし、クランが絡むとそれでは済まないことがある。だが、ゲームにまで人間のしがらみに捕らわれるのは馬鹿馬鹿しい。

しかし、長年にわたって重課金勢の支援を受けていたのも事実で、一度もリアルなつながりを持ったことはなかったものの、辞めるのはなかなかしんどかった。単に一言挨拶をして辞めただけだが、本当の理由を述べるわけにもいかないので、当たり障りの無いように言葉を選んだ。まあ、辞めた今は清々しているけど。

 

最近はバンドを辞めたり、意中の異性に交際を申し込んだり、ゲームクランを辞めたりと、他人との関係を終わらせたり、一新したりするような、割と重大なことが続いている。ゲームは別に大した問題ではないけど、本質的にはどれも共通する事柄だ。これは単に外的な要因や環境の問題だけでなく、僕自身の心境が変化したり揺れ動いているからだと思う。共通していえるのは、感覚や感情を抑え込んだり、内に秘めたりせず、心のままに振る舞おうとしていることだ。この態度の良し悪しを判断するのは難しいところ。ただ、信条として不本意は避けたいと考えている。しんどい状況を受け入れるにしても、それが自分で決めたことであれば、まだ耐えられる。自分で選んでもないのに、ぐずぐずな状況を甘受することが耐えられないのだ。

もっと自由でしなやかでありたい。