霧島の日記(完結)

書く理由がなくなったので完結しました

2017.3.26

日曜日。雨。

 

昨日は3時くらいまでニコ生の配信を観ていたので、昼まで寝ていた。おもしろい話を聞きかせてもらう配信、という配信。すべらない話みたいなエピソードトークをリスナーが披露するものだけど、あちらとはまた違った独特の雰囲気があり、大変面白い。

 

昼はまたペスカトーレ。食材が余っていたので。魚介は早めに使い切らないと。

 

携帯機種変更。iPhone5からiPhone7に。もう長いこと使っていたけど、そろそろ替えてもいいかと思い、変更。料金がどうなるか検討するのが面倒だったので、お店の人に任せた。旧機の支払いは完了していたし、旧機下取りや累積ポイントなどの活用で本日支払いは無料となった。長年同じキャリアを利用しているので、月の支払いも多少減額してもらえる。素晴らしい。

一番の懸念材料だったデータ引き継ぎについては、紆余曲折があったものの、結果的に問題なく引き継げた。もともとiTunesによる引き継ぎを想定していたが、こちらは謎のエラーにより失敗。正直取り乱したが、iCloudによる引き継ぎによって復元できたので、ひとまず安心した。もしiCloudバックアップが不完全だったらと思うとぞっとしない。

それから、ゲームアプリについては一切の引き継ぎをしなかったので、長年課金したりクランに参加したりしていたものについてはきれいさっぱりになった。これでいい。スマホゲーに何時間も費やして、何万も(僕はそこまでではなかったけど)支払いをするのは、個人的には停滞でしかないと思う。ゲームは時に人生を動かすエネルギーをもたらすこともあるけど、単なる暇つぶしにもならない無益にして不毛なることもある。今まであれこれ遊んだり試したりしてきたけど、振り返ってみると、何の益にもならないものばかりだった。今でもゲーム好きではあるけど、経験的蓄積にならない無駄なプレイはしたくない。

初期設定などに煩わされるところもあったけど、とりあえず通常の使用に堪える程度には設定を済ませられた。明日からより快適なスマホライフを送ることができる。

ところで、iPhone7の特徴といえば指紋認証である。指紋認証により煩わしいコード入力を省略できるので、セキュリティと利便性を同時に向上させられる。しかし、例えば、寝ている間に他人や身内にセキュリティを突破されるリスクもあり、穏やかならざるものがある。僕にとってはどうでもいいけど。

 

本が届いた。ペンギンの憂鬱。帯の内容をネットで見かけて惹かれた。以下に引用。

”恋人に去られた孤独なヴィクトルは、憂鬱症のペンギンと暮らす売れない小説家。生活のために新聞の死亡記事を書く仕事を始めたが、そのうちまだ生きている大物政治家や財界人や軍人たちの「追悼記事」をあらかじめ書いておく仕事を頼まれ、やがてその大物たちが次々に死んでいく。舞台はソ連崩壊後の新生国家ウクライナの首都キエフ。ヴィクトルの身辺にも不穏な影がちらつく。そしてペンギンの運命は――。”

 

夜の雨散歩。静かでしっとりとした時間。いつもの神社へ。腰を掛けられる石が濡れていたので、座ってゆっくりすることはできなかったけど、多少の慰みを得ることができた。今度の週末こそはあの人に会いたい。

2017.3.25

土曜日。

 

警察に罪を着せられそうになる夢を見た。多分、薬物関係。

 

昼頃起床。

昼食はペスカトーレ。トマトからトマトソースを作るところから。初めてにしてはまあまあの出来だったけど、塩が多少多くてしょっぱかった。パスタのゆで汁に塩を入れるなら、トマトソースに塩は要らない。

 

床屋へ。髪型を変えたいと伝えて、あれこれ頼んでみたけど、仕上がったのはイメージと違った。カットで変えるのではなくて、ワックスで変えるべきだった。まあ、また伸びたら考えよう。パーマにも興味あり。

 

携帯ショップへ。機種変更の検討。料金的にありだと分かったので、データ引き継ぎなど準備を済ませて、明日変更しようと思う。iPhoneはなんか知らないうちにデータ容量が圧迫されてしまう。データのごみ的なものが増えるらしい。デフラグもできないみたいだし、困る。単に新しいiPhoneが欲しいというのもあるけど、容量を増やして対策する目的もある。

 

音楽仲間とセッション。気心知れた、しかも腕のある連中と。やりやすいし、楽しくて素晴らしい。店セッションも良さはあるけど、正直当たり外れがあるし、フィードバックが弱いところもあるので、仲間とやった方が良いところもある。

そのあとは食事へ。なんだかこういう交流も久しぶりのような気がした。人と演奏をすることでようやく生きている実感が戻ってくるような気がしたし、社交も気持ちを回復させるのに役立った。彼女(ではないけど、ほとんどそんなようなもの)と会えずにいるけど、心の隙間が少し埋まった。

2017.3.24

金曜日。

 

労働。完璧主義、神経質なスカム上司に振り回されて、マザファカ的一日を過ごした。あれはもう完全に狂人にして病人である。こちらに全く非がないとはいわないが、誰かに少しでも非があれば勇み猛るのが完璧主義である。

だが、年度末で配置換えになるので、もうそんな上司ともおさらばである。次の職場が優良である保証はないが、清々する。

 

買い物をして帰る。週末の食材。ペスカトーレをやるつもりで。トマトソースから自作する。料理スキルの向上のために。

 

ブラックホールについての本を読んだ。入門向けというか平易な本だと思っていたのに、だんだんわけのわからないグラフなどが出てくるようになって、もう理解が追い付かない。

 

曲の採譜。バンドネオンのソロを落としているが、揺れやずれの効いた優雅で官能的なニュアンスとリズムで、美しいがとても採譜しにくい。リズムセクションのパルスに対してつかず離れずの曖昧なタイム感。こういうところに音楽的魔術が込められているが、採譜の困難さは大変なものである。まだ器楽だからましな方だけど、歌やラップになると、採譜は諦めて、耳で覚えてしまった方が早いくらいこともある。

五線譜というシステムは、それに適合しやすい音楽に向いたシステムであって、より肉体的でより非整数的な音楽とは相容れないところがある。マイクロ秒単位のわずかなタイムコントロールが音の感情を左右する。そういった要素を表現するのに五線譜は適していない。では、どうすればいいかというと、もはやMIDIに頼るしかない。しかし、これも大変面倒な代物である。あまりこだわりすぎない方がいい。

 

ジャズ漫画のブルージャイアントの最新刊を読んだ。親しみのある光景が出てくるので、無理なく読める。音楽は音を通じた心のやり取りなのだということを改めて感じさせてくれる良作だと思う。

 

あの人をデートに誘ったが、都合により断られる。無念。今月は全然空いていないというのは本当なのだろう。次に会えるのを楽しみに待つことにする。試練だなあ。

2017.3.23

木曜日。

 

労働。つまらぬミスにより謝罪コースへ。原因が他人のミスであっても、それを見逃したことが自分の責任であれば、自分のミスも同然となる。端からミスを疑っていなければならないのだ。鬱陶しいことこの上ないが、そういうものだ。無念。

 

帰宅後は読書。タロットについて。象徴的で抽象的、神秘主義的文章を読解する難しさ。実感が湧かないものを、想像力で補って読むのは大変だ。78枚のカードについて読むとなると、1日1枚でも78日。2か月半くらい。それは大変ゆっくりなペースだが、通読して覚えられるものでもなく、反復が必要になる。リーディング能力はそう簡単に向上するものではない。

 

そして曲の採譜。こだわって、ほぼ完コピに近い形で採譜をしていたら(楽譜ソフトに再生機能がついているので、近似値になっているかどうか確認できる。音程はまだしも、本当に難しいのはリズムだ。細かい箇所は低速再生により連符や音価を検討する)、余暇があっという間に過ぎ去ってしまった。疲労と神経痛があるのに、時を忘れて熱中してしまう。

 

そんな感じで一日が終わり。地味な積み重ね。

2017.3.22

水曜日。

 

労働。特に面白いこともなく。

 

帰宅後、散歩がてら用事を済ます。DVDを返したり、ATMをいじったり。給与振込口座とカード引落口座が別になっているので、たまにお金を移し替えないといけない。ネットバンキングをするつもりはない。

 

本が届いた。脳神経と障害に関する平易な解説書。平易と評判だけど、解剖学的な名称など用語ががしがし使われていて門外漢にはとっつきにくい。「比較的」平易と解釈。

脊髄小脳委縮症について知る機会があったので、脳神経について学んでおきたいと思ったのだ。素人が本から得られる知識などたかが知れているけど、それでも何もないよりましだ。たまたま医療関係者の知り合いが多いので、彼らの日常に思いを馳せる意味でも有効だと思っている。

 

プライムビデオで映画を観た。トレインスポッティング。近日、続編が公開予定なので、観ておこうと思った。あのキービジュアルにこのタイトル。映画にとって大事な要素だ。スコットランドのジャンキー連中が主役。退廃的でサイケな世界観。タクシードライバーに通じるムードを感じた。しかし、正直に言えば、今の僕にはそれほど刺さらなかった。以前はタクシードライバーもぐっときたけど、多分、今観ても当時ほど気分は高まらないと思う。作品自体にも原因はあるだろうけど、それ以上に僕の感じ方、考え方が変わってしまったのだと思う。徐々に若さを失い、早い話が老けた。もともとそうだったかもしれないけど、だんだんと不感症的傾向が強くなってきている気がする。

映画には目の覚めるような興奮や熱狂、共感、カタルシスなどを求めているものの、観れば観るほど何とも思わなくなっていく。別にそれを望んでいるわけではないのに。着実に退廃の道を歩んでいる。退廃の果てまで突き進む勇気はない、とさる音楽家は言ったけど、その人は十二分にその道を突き進んだ人だと思う。そこまで進まないと見えない景色があるだろう。それは幸せなものだろうか。恐ろしい気がする。

 

あの人の写真を眺めていると、愛しさや切なさなどがないまぜになった苦しい気分になる。会いたくて震えていたあの歌手は、それをずいぶん笑われていたけど、今の僕には他人事ではない。たった10日会わずにいるだけだけど、気を狂わすには十分すぎる長さだ。次に会えるのは来月になってからかも知れない。なるべく考えずにいた方が楽だろうが、それも容易ではない。どうにしても苦しみを避けられない。

2017.3.21

火曜日。雨。

 

朝からしとしとと雨が降っていてとても良かった。雨の日は人が静かだ。陽が出ない分、意識がぼんやりとするのだろう。人間の意識や気分は物理的な環境に影響されるものだ。気の持ちようなどといって、意識一つで気分をコントロールできると考えるのはおこがましい。雨が降ると、そんなことを思う。

 

労働。可もなく不可もなく。何事もない平和で退屈な時間。ただ、同僚の仕事っぷりが少し気になる。能力的な信頼性に疑義が生じている。だが、これは僕がどうこうできる問題ではない。使用者や管理職の問題だ。

こういう困った事態に陥った時、自分が管理職なら何ができるだろうと思うが、特に改革もせず、問題放置、現状維持という堕落に至りそうだ。つらい。能力に問題のある人を上手く操縦することほど難しいことはないだろう。

 

買い物をして帰る。日用品。普通の日常。面白いことは何もなし。平和。退屈。

 

映画の続きを観る。そんなに面白くなかった。マネーモンスターという作品だったけど、別に内容は詳しく書かなくてもいいか。テンポ感やクライマックスの配置、伏線の強さが足りなかった。シナリオは非常に単純であり(悪い意味で)、洗練不足を感じる。個人的には外れだったけど、そういう鑑賞体験も経験のうちと思えれば前向きになれるかもしれない。しかし、だからといってつまらない作品を進んで観たいわけではない。つまらない作品を観ていつも思うのは、これがデートじゃなくてよかった、ということ。だけど、駄作を観るデートもそれはそれで味わいだと思う。

 

アマゾンプライムでも作品漁り。僕はプライム会員だけど、プライムビデオはあまり利用していない。だけど、わざわざDVDを借りてくるより、プライムで観られるものはプライムで観た方が賢い。というわけで漁ってみた。

あれこれ漁っているうちに、プライムビデオで推されまくっているドキュメンタルというお笑い番組に行き当たった。それを観始めたら、つい最後まで観てしまった。挑戦的で実験的な内容(笑ってはいけないをより尖らせた感じ)で、賛否が激しく分かれている。個人的にも、いいところとだめなところがそれぞれあると感じた。お笑いのリアルに関心のある人には学びがあるかもしれないけど、単純に楽しみ、消費したいと思う人には厳しい感じ。しかし、教訓や含蓄は多いと思うし、そういう意味で実験をした意義は認められると思う。ただ、二度観るかと言われると、ちょっと。

 

何か微妙な余暇の過ごし方。明日はもっと計画的に過ごしたい。

2017.3.20

月曜日。祝日。

 

疲れを感じつつ10時半ごろ起床。朝すっきり目覚めるという経験は中学生くらいの時からない。

 

友人と遊びに出かけた。昼はうなぎを食べに行った。別な友人から教わった店で、間違いないクオリティ。美味い物を食べるのは、生きるためではない。良く生きるためだ。

 

夕方は焚き火。今時はどこでも火を焚くと問題になることが多いが、管理された安全な緑地でやったので問題なし。潔癖な社会ではあるが、これは仕方ない。

ホームセンターで買ってきた薪と落ち葉と新聞紙。ただ燃えるのを眺めるだけ。落ち葉を新聞紙で包み、焚き付けに使う。火が薪に移れば安定して燃え続ける。後は火を絶やさぬよう薪をくべ続ける。2時間ほどで終わった。だんだんと日が暮れて辺りが暗くなると、火の存在感が増してくる。火が燃えて、薪が減っていくのを眺めているだけで、言葉では言い難い満足した気持ちになる。これは、焚き火をやってみないと分からない感覚だ。

 

友人がタロットに興味を持ち、スプレッドをやってほしいと言ってきた。こちらは大して精通しているわけではないから、それでもよければということで応じた。内容は仕事と恋愛について。他人についてリーディングを行うのは初めてだ。リーディングはいかに内面と向き合うかが重要なので、リーダーは質問者の内観を補助する。しかし、自分のことを読み解くのとは勝手が違い、内観が上手くいっているのか確認するのが難しい。とりあえず、事態がどのように進展していくのか見守ってみる。やはり、これは占いというよりはカウンセリングに近い。

 

この連休中、予想通りあの人からの連絡はなかった。次に会うのはいつになるのか。今は彼女を待っているが、時が来ればこちらから攻めていき、強引にでも落とさなければならない、という気持ちになってきている。彼女の優柔不断さは意外なほどだが、であれば必要なのは押しだろう。自力が通用するというのは待つだけより遥かにいい。